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額安寺(かくあんじ)

額田部寺町にある。真言律宗、熊凝山の山号をもつ。聖徳太子が推古天皇のため大寺を建立しようとしててがけていたとされる熊凝山の故地に、額田部氏出身の道慈律師が一寺院を建立し、額安寺と称したといわれている。道慈はそのころすでに新京の大安寺への移転を終わり、この地に隠退して、入唐の際学んだ求聞持法の主尊虚空蔵菩薩像を安置し宗法の興隆に努力していたと思われる。伽藍並条里図に「額寺」又は「額田寺揚原」と記されたところがあって現在の額安寺の位置に合致するから、額安寺は天平宝字ごろ(757-65)すでに存在し、寺地は東西三町南北二町を占めていたものと考えられている。
平安時代に入ると寺は漸次衰微し、ー時は一部の仏像も興福寺に移されるほどであったか、鎌倉後期には西大寺の叡尊・忍性・慈信等が寺の再興に尽力し、寺勢が再び隆興することになった。
明応8年(1499)に細川政元の命な受けた沢蔵軒宗益が大和国に乱入した際に、この額安寺は他の多くの名刹と共に焼き払われ、織田信長の検地当時に180石の寺領も没収され、豊臣秀吉の時に、残っくいる雁塔を天王寺に移すことを条件に1町歩を与えられた。これによって江戸時代を通じて額安寺は朱印地12石を許された。
土地の人は、この寺の名のおこりを次のように伝えくいる。聖徳太子の兄弟が、額に腫物ができて苦しんだとき、この寺に祈願して治癒したので、額の安らかな寺、すなわち額安寺と呼ぶようになったと。
※ふるさと大和郡山 歴史事典より

住所 奈良県大和郡山市額田部寺町36
問い合わせ先 0743-59-1128
営業時間 拝観時間:9:30~16:30(受付は16:30まで)
料金 大人(中学生以上)400円
※説明付団体拝観は予約のみ
備考 駐車場:6台
近鉄「平端駅」から徒歩15分、またはJR大和路線「大和小泉駅」または「法隆寺駅」からタクシー約10分



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